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2016年9月5日月曜日

ミンスク空港から市内へ

さて、ベラルーシルーブルを入手したので、空港から市内に出ます。


ミンスク空港からバスで市内へ


空港のターミナルを出ると、こんな感じ。
もう8時過ぎていますが8月上旬、まだまだ明るいです!



来た来た、ミンスクのバスターミナルまで行くバスです!
空港から市内までは42km離れているそうな。



連結したすごく長いバスなのですが、
すごいたくさん人がいるなとも思っていたら乗り切れず。。

あ、タクシーおじさんの言い値は20ドル(USD)でしたよ。

次は何分後にバスは来る?と思っていたら、
すぐにマルシュルート(ミニバス)が来ましたよ。


飛行機の中でガイドブックをまじまじと見ていた友達が、
空港がこっち(地図上右上)なら、終点の駅までいかなくても
ホテルの近くで空港からのバスが降りれるんじゃない?と発見し、

乗り込んだ人々がそれぞれ降りる場所を運転手さんに伝えているので、
私たちも地球の歩き方の地図を見せながら「カストゥリニチツカヤ」と言ってみます。

すると足元に置いた荷物を指さし、「荷物はこれか?」と聞かれます。

「はい、これです。」

でもその続きの質問があるようです。

車内が「英語がわかる人いませんか?」なことになったようで
中学生くらいの女の子が、英語で「後ろに荷物はありませんか?」と聞いてきます。

「後ろに荷物は置いていません」

と答えると、「ならいい」ということになります。

どうやら、共和国宮殿のあるカストゥリニチツカヤ広場の前は、
みんなが降りるメジャーな降り場ではあるのですが
後ろの荷物置き場は道の真ん中だから開けられないということだったようです。


ところで、ベラルーシ語


カストゥルィチニツカヤって、オクチャブリスカヤのこと、
オクチャーブル、「10月」って意味だそうです。

10月っていう言葉は、ソビエトの10月革命が由来しているのか、
通りや広場の名前によくなっています。

「10月」という単語が、ロシア語とベラルーシ語で違った。。
ベラルーシ語は全然知らなかったし、ベラルーシはロシア語が通じるって先入観のみだったので違いに驚きました。
先入観通り、ロシア語がよく通じるのですが、
挨拶程度のベラルーシ語は調べて覚えていけばよかったな。

あとね、
ミリッツァ。
ミンスクで、一緒に行った友達に「ミリッツァってなあに?」と聞かれ
普通に「けいさつだよー」と答えていたのですが、

今回、ロシアで警官の後ろ姿を見たら「ポリッツァ」になってた。
えっ、ロシア語変わった!?!?!
ベラルーシではミリッツァのままです。


マルシュルートに乗って市内へ向かいます。


街に近づき、地下鉄の駅前で人が降り、

左手にベラルーシ国立図書館が見え(すんごい目立つ!)
続いて勝利広場を通り、
サーカスが左手に見えて、
地図を見ながら、
「今、ネザレージナスツィ通りを通ってるんだなー」って思っていると、
さっき荷物の話をしてくれた英語を話す女の子に「ここよ!」と言われ、
この広場がカストゥリニチツカヤ広場なのねと思いながら
他のお客さんたちと一緒にマルシュルートをおります。


ちなみにマルシュルートは4ルーブル(200円)、
21時に空港をでて、市内についたのが21時45分。


カストゥリニチツカヤ広場


夜景がきれい。
あまりに綺麗なので、まずは写真撮っちゃった。



共和国宮殿です。




そしてホテルへ向かいます。

ホテルは聖霊大聖堂のすぐ裏手にあるはずなのよね。




ミンスク


ベラルーシ共和国の首都
人口約190万人
独立国家共同体(CIS)の本部がある。

バルト海と黒海を結ぶ貿易の中継点として栄える。
キエフルーシの時代にポローツク公国の一部として成長する。
13世紀にリトアニア大公国に吸収される。
1793 第二次ポーランド分割時に帝政ロシア領に組み込まれる。

モスクワとワルシャワを結ぶ線上にあり、戦乱のたびに荒れてしまう。
第二次世界大戦では人口の半分以上が失われ、町の面影はなくなった。
現在は戦後の復興計画に基づき、整然とした街並みが続く。